ショパン -ピアノ協奏曲-

ショパン
CHOPIN

ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 ☆作品11☆

ショパンの管弦楽を伴うピアノ作品は,2曲の協奏曲をはじめ、

「クラコヴィアーク」作品14

「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」作品22

「ラ・チ・ダレム」の主題による幻想曲作品13

があるが、いずれも彼の少年期から青年期にかけて、
つまり祖国ポーランドにいた頃に書かれている。

従ってウィーンからパリに出て以後は、ピアノ独奏のための作品に専心することになる。

2曲のピアノ協奏曲は出版の順序によって、番号が逆転している。

すなわち第2番と呼ばれているヘ短調の作品21は、

この第1番の前年の1829年に書かれていたにもかかわらず、

出版が1836年と大幅に遅れたためで、

反対に1830年に書かれたこの第1番は、

1833年と一足先に出版されたので、順番が逆になる結果になった。

実際に聴き比べてみると、ショパンにとって19歳から20歳という年齢の推移は、いかに実り豊かなものであったかが分かるだろう。

ショパン自身も手紙の中で、この協奏曲のアレグロ楽章が、

ヘ短調協奏曲のそれよりも、一層優れていると説く友人の印象を書き、

フィナーレもこの曲の方が美しいと、人々から受け取られたことなどを伝えている。

この協奏曲は故郷ポーランドと訣別する寸前に作曲されたものだけに、ポーランドに対する惜別の情が込められている。

同年の5月15日付けのワルシャワから、親友のティトゥス・ヴォイチェホフスキに宛てた手紙の中でも、

「新しい協奏曲のアダージョはホ短調だ。ここで僕は、力強さなどを求めはしなかった。むしろロマンチックで静かな、なかば憂鬱な気持ちでそれを作曲した。

楽しい無数の追憶を喚起させる場所を眺めるような、印象を残さなければならない。例えば、美しい春の月明かりの夜のような・・・・。」
と述べている。

初演は1830年の10月11日

ショパンの告別演奏会で、作曲者自身がソロを弾いて行われたが、この会にはショパンの初恋の人としても知られる、ソプラノ歌手のコンスタンティア・グワドコフスカも賛助出演して、ロッシーニのカヴァティーナをうたったという。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

ショパンは、ポーランドを
離れて
淋しかったであろうという
気持ちが
ひしひしと
伝わってくる
名曲

・‥…━━━☆・‥…━━━☆

2000年5月18日 | カテゴリー : classical music | 投稿者 : ☆LOVE☆